2004年の9月。
私は自分の19歳の誕生日に日本をたち、韓国でストップオーバーをし、モンゴルへと向かった。
かねてからの憧れの土地、モンゴル。
そう、モンゴルは、呼んでいた。
長い間、私を。
私はいてもたってもいられず、笠の緒を付け替え、モモヒキの破れをつづり、
モンゴル孤児院の農場手伝いキャンプに参加した。
モンゴルに呼ばれていると気づいたのは、友人の一言だった。
「何ツーか、お前モンゴル人っぽいよな」
私はショックを受けた。激しく、激しく。
なぜなら、私は今まで自分を韓国顔だと思っていたからだ。
5年前、韓国でアカスリのおばちゃんが、
「あなた韓国人だったら美人の顔してる」
それを信じて、もてるために韓国語覚えたのに・・・!!!
私は誓った。何が何でもモンゴルに行こうと。
そして、そこで そっくりな人間を探し、とけこんでやろうと。
大いなる野望と好奇心を抱き、私は農場で泥まみれになる生活を想像していた。
早速、ブログを始めます。
みんな上手に書いてるなあ。
それでは、先月いってきたばかりの、マレーシアklangの話をしようかな。
Klangって言うのは、マレーシアの首都クアラルンプールからバスで2時間くらい?のインド系住民の多い郊外の街です。
そこで、障害を持った子達の学校で、いろいろお手伝いするキャンプに参加したのです。
・・・・しかも、リーダーとして。
いくら大学生活最後のたびだからって、それはないよねっておもっってたよ。ホント、本番まで真剣にいつ辞めるって言い出そうか考えてたんだもの。
前代未聞のリーダー現る。
今だから明かせる話をしましょう・・・。
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