PLASのエイズ孤児支援クリック募金が開始しました。
携帯電話サイトからクリックするだけで、
1クリック=一円を協賛企業がかわりに寄付してれ、
クリックにご協力頂いた方には一切お金がかからず募金ができます。
ただし、PLASへの募金はauの携帯からしかできませんのでご了承ください。
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「子どもたちの夢をかなえたい!」そんなスタッフの思いから始まりました。
南アフリカ共和国。忘れてならないのは、10数年前まで、アパルトヘイトという人種隔離政策が行なわれていたこと。
自由を求めて闘いを続けた歴史の中で、多くの若い命が失われた。成功した黒人ももちろん増えているけれど、多くは今だ貧困の中にいる。
そして、都市にあるかつての黒人居住地区はタウンシップと呼ばれ、マッチ箱のような家々が密集して建ち、その周囲をスクウォッターキャンプと呼ばれるスラムが取り囲む。
そして、2000年以降。今、この国が闘っているのはエイズ。
フィアメーラという子の話をしよう。「小さな炎」という名前の女の子。エイズ末期患者の入院する小さなホスピスの小児病棟で育った女の子だ。
フィアメーラは2歳でこの病院に入った。母親が死んでしまい、育ててくれる親戚もいなかったから。父親が誰だかはわからない。
フィアメーラも母子感染により、HIVエイズに感染している。
母子感染をほぼ防ぐといわれている薬や粉ミルクが妊婦に無料で提供されるようになったのは、彼女が生まれたしばらく後にできた政策だ。彼女は当時4歳(4歳は病棟では上から4番目の年齢)。
その当時、彼女が治療を受けられる望みはなかった。フィアメーラには、別の部屋で出会った症状の重い子どもとは比べ物にならない力強さがあったが、彼女の顔に目立つおできとコブに、一見元気に見える彼女の免疫力が低いことを悟る。まだはっきりと発症はしていないのだろう。
ある土曜日の午後に、屋外の広場に紙を広げてみんなで絵を自由に書いたときに、彼女はただ一人、「私と死んだママ」といって絵を見せてくれた。
「ママ、優しい人?」とだけきいてみたら、「もちろん!」と彼女は答えた。なんだか、それで私は、うれしい気持ちになった。
「小さな炎」なんていう素敵な名前をつけたママがどれだけ彼女を愛していたか、そういう発想は子どもの彼女にはない。でも、死んだ母親がどれだけフィアメーラと一緒に生きていきたかったか。そのことを彼女の名の素晴らしさとともに彼女に伝えていく責任が彼女と出会った私にもあると感じていたから、「ママが好き」な彼女がうれしかった。
一方で「ママのいない」彼女の環境に「寂しさ」という感情を勝手に想像してしまい気が狂うようなとまどいと切なさを感じるたびに、目の前でたくましく生きる彼女に勇気づけられる日々だった。
でも、そんな彼女の心の一端を知るできごとが数ヶ月後にあった。洗面所に一緒に手洗いに行ったときのことだ。
免疫力、抵抗力の低い彼女たちは、栄養のある食事や十分な睡眠や、遊びを通した体力づくりに加えて、清潔を保ちウイルスや悪い菌から体を守ることが健康な子ども以上に大切だ。
この手洗いの時だった。子どもの目の高さについた鏡にうつる彼女を見つめながら私は手洗いを手伝う。自然と「かわいいね、フィアメーラは」と口にでた。瞬時に彼女から返ってきた言葉は「ちがう!私は醜いのよ。」だった。ショックだった。
病院の中の限られた空間、制限された生活の中で育っている彼女がどこかで覚えた、「醜い」という言葉。どこから自分にそれが結びついたのか。彼女は英語ではっきりと「ugly(醜い)」と言った。
この世の中にあるたくさんのマイナス表現。マイナスの評価。大人の使う言葉や態度を、子どもたちは知らぬ間に吸収して真似たり自己評価へとつなげてしまう。
人によってはあからさまに指をさして「あの子かわいいわね」などと、まるで買い物に来たかのような里子探しをすることもしばしばだ。相手が白人だと、黒人のスタッフは悲しいことに注意をしない。萎縮する人もいるし、大きな寄付金を逃がすことで患者達の生活を破綻させるわけにはいかないので耐えていることもある。それらの大人たちのやりとりを子どもは、大きな瞳で逃がさず見つめている。
それからの日々、フィアメーラは髪を伸ばすことになった。黒人たちは元来とてもおしゃれだ。髪の強いカールをうまく利用して、きれいな編みこみをつくる。スタッフは、定期的に思い思いの髪型で彼女をおしゃれに変身させた。
2004年に入り、病棟の子どもたちが治療を少しずつ受けられることになった。画期的なできごとだ。最初のメンバーに彼女は入らなかったので、相変わらず、定期的に胸が痛くなったりしてはいたけれど、少なくとも彼女の問題のコブをきちんと検査して時期をみて治療するという方向がようやくだされた。
4歳まで力強く生きてきた彼女にこれまでの見込みよりも長く生きてゆくためのチャンスが生じた。
それから、髪のおしゃれを含めて、年下の子どもの面倒をみたり、よく手伝いをする彼女へのプラスの声かけが増えたことも多少は影響したのか。彼女は自分のことを「醜い」と口にしなくなった。「フィアメーラ、かわいいね」そう伝えたときに、「違う」とは言わずに、逃げたりせず、うふふと笑うようになったのだ。
時々、「私のママになってね」と、そんな風に甘えてくる時があった。私は、日々子どもに感情移入しては、それぞれの子どもたちの将来を想像してはどきどきと期待と不安にさいなまれる。子どもと真剣に向き合うことの難しさ。でも、フィアメーラの方が大人だった。しばらく膝の上で抱きついていた彼女は、スタッフが夜のティータイムのお茶を持って部屋へ入ってくると、いつもの「みんなのお姉さん」として、皆を座らせに立ち上がった。他の子が「ママになってよ」と言うと、「彼女は南ア人なじゃいんだよ」「ここにいる間だけのママだよ」と言ってフィアメーラが諭してくれる始末だった。
そして2005年、フィアメーラはコブを除去する治療を受け、他の皆と同じくARV治療が軌道にのったところで、就学目的のために養護施設へと移っていった。
しばらくしてからその施設へ訪れた私の前には、急に大人びた彼女がいた。施設の職員の前でフィアメーラが私に甘えることは決してなかった。遠くからにやにやっと笑って頭をかいて見せただけだった。
ちょっと寂しかったけれど、私たちとの関係がどういうものであるかを最初から悟り、新しい環境に適応し強く生き続けている彼女の人生に中途半端に踏み込むのはもう無用なのだと思った。
彼女は、彼女の魅力をどれだけわかっているだろうか。どれだけ、この先笑っていってくれるだろうか。フィアメーラ、小さな炎。あなたの心が、悲しみを昇華させて、喜びに燃えゆらぐことを、願っている。
世界エイズ孤児デーキャンペーンを展開しているNGO、
Francois-Xavier-Bagnoud (FXB) インターナショナルが
世界エイズ孤児デーキャンペーンホームページにおいて
エイズ孤児の支援を訴える署名活動を行っております。
宣言文の和訳を以下に掲載いたしますので、
賛同いただける方は、ぜひ署名活動にご協力お願い致します。
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I Raise My Voice
私たちは知っています。
エイズ孤児たちの
基本的人権と社会的地位が保障されるよう
早急に対策が取られなければ、
未来を担う世代の多くが失われてしまうことを。
私たちは、エイズ孤児やエイズによって脆弱な環境に置かれている子どもたちが
緊急に必要としている支援を受けられるよう
政治、経済、宗教、文化など、様々な分野からの人材が結集し
この問題に取り組むことを促進します。
ここに、私たちの意思を示すことで、
幾万もの声なき声が世界に届くことを願います。
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署名はこちら↓
http://www.7may.org/en/index.php?link=signin
エイズ孤児キャンペーンの5話目のお話です!
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1990年、ルワンダでは当時の政府と反政府勢力との間で内戦が勃発し、94年、100日間で100万人が殺害されるという大虐殺が起こりました。多くの子どもが虐殺で親を失いました。またこの国の子どもたちが親を失う原因のひとつにはHIV/AIDSの蔓延もあります。
シェマ・パシフィックもエイズで親を亡くした少年の一人です。
彼の名前、シェマとは、キニヤルワンダ語(現地語)で「誇り」という意味です。シェマは1998年、ルワンダ南部のブタレ県で生れましたが、彼は両親を二人ともエイズによって失いました。そしてほとんどの親戚は虐殺の時に殺されました。虐殺とエイズによる家族や親類の死―でも幼いシェマには、その死についてすら理解することはできませんでした。
彼は生き残った親類である、当時まだ高校生の叔母と8歳になる兄と一緒に暮らしていました。虐殺後のルワンダには、こうした子どもだけの世帯がたくさんあります。でも子どもたちの力だけで、虐殺の痛手を負った社会を生き抜くことはとても難しく、食べるだけで精一杯でした。彼らはルワンダの孤児院から支援を受けながら生活をしていました。
シェマは2003年から奨学支援の対象となり、小学校に通うこととなりました。学校に行けることになった彼は、とてもよろこんでいます。学校では歌うことが好きで、もっとたくさんの歌を習いたいと思っています。また、彼には仲のよい友達が三人いて、よく一緒にサッカーをしています。家では、水をくんで叔母の所に運んでいくのが日課で、自ら好んでしています。そんな彼の将来の夢は、車の運転手になることです。
私たちの見たシェマは、とても明るく利発な子どものように思えました。幼くしてお父さんもお母さんも失った彼が、どうしてそんなに明るいのだろうかと、いつも思います。両親たちの「死」という悲劇を体験しながら、でもそのような死を越えて、今を「生」きる子どもたち。そんなシェマたちの明るい瞳が「未来」を見出すことができたら―私はそんなことを願いながら活動を続けています。
今日はアジアのタイのエイズ孤児のお話です。実話に基づいています。ぜひぜひ読んでください!
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タイ北部・チェンマイから少し離れた場所にある施設での話。
その施設では、親をエイズや麻薬中毒、貧困などで失った
山岳民族の子供たちを保護し、教育の機会を与えている。
大家族のように暮らしていて、
子どもたちは食事を自分たちで作り、
洗濯も、飼っている豚や鶏の世話も子どもたちが行う。
ある男の子は、エイズによって両親を亡くした。
身寄りもなく、村の家々から食べ物をもらい転々としていたところ、
施設の人に保護されたのだった。
保護された当初、痩せた体で泣きそうな目をしていた彼も、
今では体格も良く、すっかりお兄さんになっている。
彼の将来の夢はパイロットだそうだ。
ある男の子の家庭では、彼が幼い頃、
エイズに感染し、かつ麻薬中毒だった父親が発狂し、母親を殺害してしまった。
自分を責めた父親は、その後自身の命も絶った。
孤児になった男の子は、施設へとあずけられる。
凄惨な事件を目の当たりにした男の子は、
施設に来た当初、声を失い、笑顔を見せなかった。
でも、寮母や仲間と共に生活することで、
時折笑顔を見せるようになっていった。
そうなるには彼自身の努力も大きかっただろう。
大好きなギターを手にし、
「将来の夢はエンジニア」と笑顔で語ってくれた。
16歳のある女の子は、父親をエイズで亡くした。
残されたのは、母親と6人の子ども。
病気がちな母親だけでは全ての子どもの世話はできない。
彼女は施設に預けられた。
親がいるのに、一緒に暮らせない。
それなのに彼女は悲しみひとつ見せず、
素敵な笑顔で周りの人まで笑顔にさせてしまう。
「ご飯が食べられる。
学校に通え、勉強することができる。
それだけで毎日楽しいし、幸せなんだ。」
と彼女は言う。
エイズ孤児である彼らは、単純に悲しみと呼べるもので
はないだろう様々な思いを抱えて生きているのではないか。
子どもたちは精一杯生きている。
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このキャンペーンについて(このBlog内)
キャンペーンホームページ
mixiのキャンペーンコミュニティー
みなさんこんにちは。
今日はPLASが行っているキャンペーンで使用している
エイズ孤児を知るプロモーション映像の紹介です。
約2分半程度の映像なので、ぜひぜひ一度ご覧になってみてください!
これをみて「感動した!」なんていう感想も寄せられているので、必見ですよ★
こちら⇒http://plas-uganda.org/aids_orphans_days/movie.html
アフリカに初めて行った、日本の女子高生の物語です。
5月1日から始まったPLASがお送りする世界エイズ孤児デーキャンペーン Pieces for Peaceの三話目のエイズ孤児に関するストーリーです。
このお話は、実話に基づいています。
少しでも多くの人が、エイズ孤児に関心を持ち、子どもたちが置かれている状況に目を向けてくださればと思います。
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ある家族に出会った。
お母さん、31歳。
6人の子どもと7人家族で三畳くらいの小さな家に暮らしている。
彼女はエイズにより夫を亡くした。
今は一人で家族を支えている。
お母さんは私が訪問すると3枚の紙を小さなテーブルの上に置いた。
1枚の紙は今年小学校を卒業する一番上の男の子の成績表、
2枚目の紙は中学への推薦書、
最後の一枚は中学へ行くのにかかるお金の明細。
でもこの男の子は中学校へは行けない。お金が無いから。
私はお母さんに2つの質問をした。
「毎日の生活の中で楽しみはなんですか?」
お母さんはこう言った。
「楽しみはありません。息子を中学校に行かせられない。夫が生きていればこの子を中学へ行かせることができるのに・・・。このままだと、息子は将来仕事に就くことができない。 それは親として悔しいことです。だから、楽しみはありません。」
お母さんの前で涙を流すのは失礼だと思った。けど、我慢できなかった。
あたしのお金でこの子が中学に進めるなら、何かしたい、なんとかしたい。
そう思った。
でも、そういうわけにはいかない。
それで解決できる問題じゃない。
だってこの地域にはお金が無くて中学校に進めない子どもが本当にたくさん、山ほどいる。
なんにも出来ない自分に腹が立って、どうしていいかわかんなくて
なんて言っていいかわかんなくて、涙が出た。
それでも、お母さんは私に何度も自分の子どもの話ばかりした。
おんなじ話ばかり何度も何度も。
話をするお母さんに笑顔は無かった。
年の割に体の小さな子ども達はみんな
お母さんの隣にしっかり座って
お母さんの腕をしっかりと掴んでいた。
みんなお母さんが本当に大好きなんだなって、
そう思った。
最後にお母さんは私にこう言った 。
「エイズで夫を亡くしてからこの家には誰も訪ねてきません。
あなたが来てくれて、初めてお客さんが来てくれて本当に嬉しいです。
少しエイズに対する差別が無くなった気がします。
本当にありがとう。」
それまで楽しみがないと言っていたお母さんが
そう言って、少しだけ笑った。
何にもできないと思っていた私だったけれど
「世界はあなたを見捨てていない」って、そう伝えられた気がした。
それがお母さんの心に届いたことがなにより嬉しかった。
お母さんの一言で自分にもできることが分かった気がする。
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世界エイズ孤児デーの始まりを知っていますか?
2002年5月7日、ニューヨークで開催された「国連子ども特別総会」にてエイズ孤児への支援を訴える請願書と200万人の署名がアナン国連事務総長へ提出されました。
これを受けて、世界エイズ孤児デーが国際的に制定されました。
世界エイズ孤児デーの意義は、今後増え続けるエイズ孤児へ目を向け、彼らが抱えている様々な問題の解決に向けて、アクションを起こすことです。
2007年は第6回目の世界エイズ孤児デーキャンペーンがNGOのFrancois-Xavier Bagnoud (FXB)インターナショナルの主導の下、展開されています。
エイズ孤児支援NGO・PLASもこのキャンペーンのパートナーに正式に加盟されました。日本からは唯一の参加です。
また、日本での世界エイズ孤児デーキャンペーンとして、Pieces for Peaceが取り上げられています。
あなたに届けたい7つのノンフィクションストーリー ストーリー2
5月1日から始まったPLASがお送りする世界エイズ孤児デーキャンペーン Pieces for Peaceの二話目のエイズ孤児に関するストーリーです。
このお話は、実話に基づいています。
少しでも多くの人が、エイズ孤児に関心を持ち、子どもたちが置かれている状況に目を向けてくださればと思います。
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ケニアの首都、ナイロビから10時間離れたウクワラという村で
88歳のおばあちゃんと6人の孤児で暮らしている家族と出会った。
少女の名はアリス。13歳。
アリスの家は、一家を支えるおばあちゃんが高年齢で働くことが出来ないため親戚からのいつ途絶えるか分からない、わずかな支援で生活している。
食事といえば、1日に1回か2回で、ほとんど栄養のない食事しか食べることができない日もある。
そのせいか、アリスを始めこの家の子どもたちはみな年齢のわりに体が小さい。
アリスのお父さんはエイズで死んだ。
お母さんもエイズで死んだ。
アリスもエイズに体を蝕まれている可能性があるけれど、エイズの検査は受けていない。
家から診療所までは、大人の足で歩いても2時間。
おばあちゃんと小さな子供たちにはあまりに遠すぎる距離。
僕が「何か伝えたいことはありますか? 」と尋ねると、
「これを見て」
それまで黙っていたアリスが突然口を開いた。
僕に自分の右ひざをみせてきた。
一瞬言葉を失った。
こぶし大ほどのしこりができていた。かなりの大きさだった。
「歩くと痛いの」
口数の少ないアリスは、ただ一言そう言った。
成長と共に、こぶしが大きくなり、最近では歩くときに痛みを感じ、脚を引きずってしまう。
しこりは、彼女の腕にも見られた。
僕はエイズ孤児の現状を目の当たりにした。
しこりは幼い頃にもあったという。
そのころはお父さんもお母さんも生きていて少ないけれどお金もあった。
診療所にも行くことができた。
でもエイズで2人がいなくなって、しこりはどんどん大きくなった。
あの頃は診療所に行けたのに。
診療所にさえ行くことができれば、この痛みから解放されるのに。
アリスは治療を受けることができないまま、生活している。
「病院に行きたい。治して欲しい。」
最後にアリスはそう言った。
けれども、彼女は診療所にいくことができない。
エイズ孤児である彼女の痛みを知った。
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このキャンペーンについて(このBlog内)
キャンペーンホームページ
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あなたに届けたい7つのノンフィクションストーリー ストーリー1
5月1日から始まったPLASがお送りする世界エイズ孤児デーキャンペーン Pieces for Peaceの一話目のエイズ孤児に関するストーリーです。
このお話は、実話に基づいています。
少しでも多くの人が、エイズ孤児に関心を持ち、子どもたちが置かれている状況に目を向けてくださればと思います。
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私はウガンダの小学校で先生をしている。
私の住むウガンダは、エイズ対策に成功した国の一つとして世界に知られている。
しかし、多くの人がエイズによって亡くなり、
そして多くの子どもたちが遺されている現状がある。
デリック、10歳。
両親をエイズで亡くし、お姉さん夫婦に面倒を見てもらっていた。
それまで学校へ通うこともできなかったが、地域の人がデリックを不憫に思い、去年の夏やっと学校に通うチャンスを得た。
デリックはたくさんの友達が出来て、学校で夢を膨らませていた。
ある朝、目を覚ましたデリックは誰もいないことに気づく。
「おばさん、おはよう。」
「………。」
「おじさん、おはよう!!」
「………。」
家の外を見回してもいない。
何が起こっているのか、
どうして良いのか、
幼いデリックには理解出来なかった。
そこへ近所のおばさんが彼のところへやって来て、こう言った。
「おばちゃんたちは夜中に荷物を抱えてどこかへ行ってしまったよ。」
デリックはその言葉をすぐには理解できなかった。
けれど、ただ再び「ひとりぼっち」になったことだけ理解することができた。
家賃を払っていない家に住むことなど許されるはずがない。
デリックはポケットにあったわずかなお金を片手に、投げ出された。
不安と孤独で傷ついていたデリックは、理解ある近所の人から、空き家とわずかな食料を与えられ生活していた。
一人で過ごす夜は寂しいから早く寝る。
起きても暗かったら目をつぶり続けて明るくなるのを待つ。
そうやって彼は暗く静かな夜と一人戦っていた。
「僕はこのままずっと一人なのかな」
生活する中で足に傷を負ったが治療の仕方が分からない。
「早く治して働かないと、ご飯を食べられなくなっちゃう」
思いついたのは落ちている綿棒で塩を患部に擦り付けること。
どうしていいかわからない。
しかし頼れるのは自分しかない。
「これからは一人で生きていかなきゃいけないんだから」
2週間が経ち、お金は途切れ、痩せ細り、今にも倒れそうなデリックを、やっと発見した。
「もうひとりぼっちじゃない。」
抱きしめた彼の目に、久しく失われていた希望の光をみた瞬間だった。
親がエイズで命を落とし、残された子どものほとんどは孤独や差別と戦い続ける。
泣きたい時に泣き、笑いたい時に笑う。
そんな表情豊かな子ども達の本来の姿を守っていきたい。
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このキャンペーンについて(このBlog内)
キャンペーンホームページ
mixiのキャンペーンコミュニティー
5月7日の世界エイズ孤児デーに合わせて、PLASでは世界エイズ孤児デーキャンペーン Pieces for Peace をインターネット上で行います!
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5月7日は世界エイズ孤児デーです
~15秒に1人がエイズ孤児になっています~
【Pieces for Peace】
あなたに伝えたい
7つのノンフィクションストーリー
キャンペーンmixiコミュ二ティー
キャンペーンHP
☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆
今、世界には1500万人もの子どもがエイズで親を失っています。
更に5年後には2000万人にまでその数は増えると言われています。
しかし、これまでHIV/AIDSは大人の問題とされ、
エイズ孤児に関心が集まることは多くありませんでした。
皆さんの知らない、世界のエイズ孤児の「今」を覗いてみませんか?
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このキャンペーンは、5月7日の世界エイズ孤児デーを中心に、
5月1日~31日の1ヶ月の間、 世界のエイズ孤児の現状について
一人でも多くの人に知ってもらうためにエイズ孤児支援NGO・PLAS
が中心となり展開するものです。
キャンペーン中、
①HP
②mixiの当コミュニティー
③アフリカンフェスタ等のイベント
を通して、世界のエイズ孤児の7つ実話をお届けします。
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このキャンペーンに参加するのはとっても簡単!
そしていろんな方法があります☆
================キャンペーンに参加する============
■その1■
エイズ孤児にまつわるストーリーを読む!
⇒7つのストーリーがあるのでお見逃しなく!
ストーリー1はこちら
ストーリー1 mixi内にもあります
■その2■
期間中mixiキャンペーンコミュニティーに参加する!
mixiコミュニティーはこちら
⇒それがエイズ孤児にちょっとでも関心あります!
という意思表示になりますよ♪
⇒もちろんキャンペーン後もぜひ参加してください!
エイズ孤児に関する情報の交換場所になります!
■その3■
エイズ孤児のストーリーを友達に知らせる!
⇒mixi日記に感想を書いたり、紹介したりする!
⇒mixiプロフィールにも書いちゃう!
⇒ブログを持ってる人は、ブログにどうぞ!
⇒お友達に会ったときに話してみる!
■その4■
mixiプロフィールの写真をキャンペーンロゴマークに!
⇒世界のエイズ孤児のこと考えてます!一緒に考えましょう!
という意思表示になります!
⇒あなたのマイミクもかわいいロゴマークが気になって、
ストーリーを読んでくれるかも!?
■その5■
感想を寄せる。
⇒コメントください!
⇒寄せられた感想の一部は現地語に翻訳され
ウガンダ、ケニアのエイズ孤児たちに実際に届けられます!
⇒さらにみなさんからのメッセージを読んでくれた子どもたちの感想を、
mixiやHPを通してお返しします!
===============================================
国際協力に興味がある人、
子どもが大好きな人、
なんとなくこのページを開いた人、
どんな人でも構いません、まずはコミュ二ティに参加してみてください☆
☆キャンペーン中のコミュニティ参加者数の目標☆
★5月31日の時点で1万人!★
★3000人の感想やエイズ孤児へのメッセージ!★
一人一人にできることは、
「知ること、知らせること、そして行動すること…」
小さいかもしれないけど…
『ひとつだとただのPieceだけど、
たくさん集まれば大きなPeaceに…。』
キャンペーンHP
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PLASホームページ
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